
高野西街道から鋭角的に
貴志川右岸から入る道路は
宮橋を渡るルートですので自動車は不可です。
※旧町立美里中学校横から入ります。
|

境内地脇に出ます。
※境内の様子
|

創祀
延暦3年(784年)に神野郷の人々が官許を得たことにより、
神世七代及び神代五代の大神らを祀ったことに始まる。
創建時より暫くは「十二社大権現」と称していたとされるが、
当初より十三所大明神を祀っていた可能性がある。
十三所大明神の由来
天正年間(1573年〜1592年)には、伊予国の
河野道直とその子、秀道が長宗我部元親との戦いに敗れ
神野庄上ヶ井(当地)に行き着いた際、一羽の霊鳥が傍を離れなかったといい、
伊予国における一の宮「大山祇大神」を信奉する道直は霊鳥を
大山祇の神霊と考え、神野庄(上下神野村)の人々と合議の上、
高野山から許可を得て天正17年(1589年)、大山祇神(大三島明神)を
先の十二社大権現に合祀した。
以来、「十三社大権現」(十三所大権現)と称するに至ったと伝えられている。
一方で、康治2年(1143年)の『神野真国荘絵図』(京都神護寺所蔵)において
既に「十三所大明神」と記されており、
安貞2年(1228年)の『高野山衆徒置文』においても「庄内神社十三所」と
記されている。
また、『和歌山県神社誌』では「創建以来、十三所大明神としてきた」との
記述がされている。
これらのことから、天正17年の合祀の際に13の神のうちの一柱が、
大山祇神と入れ替わった可能性が考えられる。
(Wikipediaより)
※
|

宮橋
徒歩専用橋ですね。
※擬宝珠付き
|

橋の上からの貴志川
前日の降雨の影響で濁っていました。
上流側
※下流側
|

鳥居
※扁額
|

昭和33年銘
※奉献 和歌山神野人會
|

手水舎
※手水鉢
|

重要文化財
※磐座?
|

アンテナ
ハムでしょうか?
|

拝殿舎内
※獅子舞写真も~
|

神門
※国常立尊(主神)
国狭槌尊
豊雲野尊
泥土煮尊・沙土煮尊
大戸道尊・大戸間邊尊
面足尊・惶根尊
伊弉諾尊・伊弉冊尊
天照大日孁尊
天忍穗耳尊
彦火瓊々杵尊
彦火々出見尊
鵜茅葺不合尊
大山祇神
|

本殿舎正面
※御祭神名
|

脇から檜皮屋根
※神社拜詞
|

摂社丹生神社、摂社若宮八幡神社本殿
綺麗です~
※本殿舎前には~
|

彩色された
社殿内狛犬が~
阿
※吽
|

阿
※吽
|

他の摂社
※恵美須社も~
|

本殿舎横には獅子図
※
|

正面には龍
※木鼻龍
|

釘隠しは松
※流石国宝~
放水銃装備されてます。
|

社殿前風景
※
|

頌魂神社サン
※
|

社殿
※脇の墓標
神宮寺の名残?
|

町立旧美里中学校
|