古/いにしえの面影       其の一阡七百八拾一
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2026年04月17日 金曜日
アップ日  2026年04月28日 火曜日

和歌山県海草郡紀美野町小畑(野上八幡宮)Ⅱ
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

元和5年(1619年)に紀州藩主となった徳川頼宣は社領を安堵して諸種の神具を寄進した。
頼宣は4度社参しており、内外鳥居の再建、絵馬額の奉納、石灯籠の寄進などを行っている。
第6代藩主・徳川宗直は延享2年(1745年)に、第7代藩主・徳川宗将は
宝暦8年(1758年)に
それぞれ絵馬額を奉納している。
享和2年(1802年)本願寺第9世・快山(柴目村出身)の発願で
多宝塔の再建に着手し、
文化2年(1805年)に完成。
1869年(明治2年)の神仏分離令により境内から本願寺、神宮寺、不動堂、本地堂が撤去された。
1871年(明治4年)の太政官令で定められた氏子区域は
    野上荘全域(旧東中南北の四野上と小川村の西福井、奥佐々)であった。
1873年(明治6年)村社、1884年(明治17年)郷社、1916年(大正5年)県社となった。
1908年(明治41年)から和歌山県は神社整理に着手し、無格社173社を合祀することとなった。
1926年(大正15年)多宝塔が売却された。
1957年(昭和32年)から3年間を掛けて本殿・拝殿・武内社殿・
    平野今木社殿・高良社殿などを1,500万円で解体修理している。
(Wikipediaより)


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国指定有形文化財(建造物)室町後期 昭和19年9月5日指定
本殿に向かって右側面の斜め後方にある三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、
檜皮葺(ひわだぶき)の建物である。
棟札等により、本殿と同じ弘治3年(1557年)に再建に着手し、
元亀3年(1572年)に落成した建物であることが分かる。
本殿と同時期の建物であるが、建築彫刻などは次の桃山時代に繋がる
新しい様式を取り入れ、建物の用途によりデザインを使い分けている。
(わかやまの文化財HPより)

※綺麗に修復されています。

龍が象徴的に~



此処にも~

※虎
このタッチ
前に

獅子



本殿舎
東側から~



舞殿

※立派な石燈籠

由緒記

※拝殿舎前石燈籠


寄付者

※廃仏毀釈にも耐えた鐘楼
此処に吉野の東南院さんの
多宝塔が此処に在ったとか~

鐘楼に架かっていた扁額
判らない~

※釣鐘

昭和34年銘
供出されたんでしょうね。
「大谷相模掾」鋳造所(大阪市東成区)



楠社

※見上げたら~

大きな樹

※此処にも石燈籠

石段下って~



参道階段脇の手水舎

※手水鉢

向こうに長峰山脈が~
左に生石高原が望めます。

※大きな樹が有ったんですね。
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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