
くすのき公園
大きな楠木が目に入ります。
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田渕家樟蔭荘跡碑(別荘ですかね)
田渕 豊吉(たぶち とよきち、
1882年〈明治15年〉2月23日 - 1943年〈昭和18年〉1月15日)は、
明治・大正・昭和期の政治家。
衆議院議員を通算5期務めた。
和歌山県日高郡薗浦(現:御坊市)の大地主であり、
造り酒屋伊勢屋を営む田渕善兵衛・かめの四男として生まれる。
戦前の田渕家は、大地主であると共に、日高銀行(現紀陽銀行に一部営業・店舗を譲渡)、
由良臨海鉄道、日高物産、南海信託、御坊臨港鉄道(現紀州鉄道)などの事業も営む、
和歌山屈指の名門であった。
善兵衛死後は次男の田渕榮次郎が家督を継いだ。
(Wikipediaより)
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学術推薦樹
推定樹齢500年
樹高約23m
※この石碑は?
楠神??
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公園脇に車両が保存されています。
※公園時計
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31 - 阪神1121形1130の譲受車。
阪神電車は前に~
01 02
※説明板
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阪神本線ですね。
阪神1101形電車(はんしん1101がたでんしゃ)は、
阪神電気鉄道が1933年に導入した電車で、木造車の
機器類を流用して鋼製車体に載せ替えた鋼体化改造車である。
1001形や901形(後の701形)に続く鋼体化改造車で、
両運転台の前面貫通構造が採用された。
(Wikipediaより)
※1121形
1934年から1935年にかけて、321形全車(321 - 330)と
331形の一部(351 - 356・347・348・359・360)を種車に
1121 - 1140の20両が日本車両製造で鋼体化改造を実施された。
外観は1111形を継承している。
(Wikipediaより)
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錆は見えますが~
本形式ではベンチレーターの形状がガーランド式に変更されたほか、
1129・1130の室内照明が吊革のブラケット棒を頂点に、
逆三角形に取り付けられた受け具の二面をすりガラスにして、
その中にチューブランプが入った凝った間接照明を試験的に採用した。
台車や電装品は種車が変わったことから、
モーターは変更がないものの台車はボールドウィン75-25Aを装着し、
制御器はPC-5を装備した。
(Wikipediaより)
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野上電気鉄道には1118・1122・1128・1130・1150の5両が譲渡された。
1960年に阪神で廃車となった1121形1128・1111形1118の2両は、
単車を車体延長してガソリンカー用台車でボギー車化していた
クハ100形101・102の車体載せ替えに使用された。 (Wikipediaより)
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1961年に竣工したクハ101はガソリンカー用台車を
流用したが車体重量に耐えられず、
元善光寺白馬電鉄のデハ22が使用していた台車に交換された。
1962年竣工のクハ102では南海電気鉄道から
譲受されたブリル27MCB-2を装備し、
クハ101も1963年に同じく27MCB-2に再換装されている。
(Wikipediaより)
※1962年には1121形1122・1130の2両が阪神での廃車後に譲渡された。
1122は元八日市鉄道のガソリンカーであった
クハ103の廃車代替による新造扱いとされ、
南海の木造車廃車で発生したブリル27MCB-2台車を
装備の上で1963年にクハ104として竣工した。
(Wikipediaより)
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1130は1963年に元八日市鉄道のガソリンカーを電車化した
モハ30形31の車体載せ替えに使用され、
台車も南海から譲受されたブリル27MCB-2を装備している。
1964年には1141形1150が野上電鉄に譲渡されてモハ30形32となり、
南海から譲受された台車や主電動機に換装の上で使用された。
1101系からの改造車は1994年の野上電鉄廃止まで在籍した。
モハ32(阪神時代は1150)が阪神に返還され、
尼崎センタープール前駅付近の高架下に保管されている。
(Wikipediaより)
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連結したんでしょうか?
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もう一台あるそうで~
※27 - 阪神701形707の譲受車。
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阪神701形電車(はんしん701がたでんしゃ)は、
阪神電気鉄道が1932年に導入した鉄道車両で、
大正中期に製造された291形木造車を鋼体化改造したものである。
改造当初は901形と呼ばれていた。
昭和初期の阪神の新設軌道線では、路線の高速化及び地下化に対応する形で、
1931年の331形の1001形への鋼体化改造を皮切りに、
木造車の鋼体化改造を推進していた。
これらの改造と同時並行して、1形のうち大正4年・1915年に総括制御車に
改造したグループの車体を1923年に更新した291形についても
鋼体化改造を実施することになり、1932年に新形式の901形として鋼体化改造を実施された。
291形295,296,300,299,298の5両を種車に901~905の5両が大阪鉄工所で、
同じく292,294,297,293,291を種車に906~910の5両が藤永田造船所でそれぞれ改造された。
改造種車が1形に由来しており、301形由来の車両より出力が小さいことから、
伝法線(後の西大阪線→阪神なんば線)や尼崎海岸線など支線運用を
前提とした非貫通両運転台車となった。
(Wikipediaより)
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704,710,707の3両は野上電気鉄道のモハ20形25・26・27となった。
1954年に廃車となった704・710が先行して譲渡されてモハ25・26となり、
南海電気鉄道から譲受した軌間1,067 mmの台車や主電動機を組み合わせて
1955年に25が、1957年に26が竣工している。
1959年には707が譲渡され、1960年にモハ20形27として竣工した。
モハ25 - 27は1994年の廃線時まで使用された。
しかし、阪神から野上に譲渡された他形式とは異なり、
701形譲渡車が阪神に戻ってくることはなかった。
(Wikipediaより)
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