
前に訪れた
粉河寺からの道標から北へ~
※附近住宅
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地蔵堂
※大き目の地蔵尊
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民家過ぎたら山道の様相
※道標も~
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役行者像
※狭いですが~
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本当に、この先?
※谷川ですね。
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又も脇に石仏
※役行者像
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この石段は?
※急斜面です。
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青モミジの境内
※シャガの花の季節
シャガ(射干、著莪、胡蝶花、学名:Iris japonica)は、
アヤメ科アヤメ属の多年草である。
人家近くの森林周辺の木陰などの、やや湿ったところに群生する。
開花期は4 - 5月ごろで、白っぽい紫のアヤメに似た花をつける。
花弁に濃い紫と黄色の模様がある。根茎は短く横に這い、群落を形成する。
草丈は高さは50 - 60 センチメートル程度までになり、葉はつやのある緑色、
左右から扁平になっている。
いわゆる単面葉であるが、この種の場合、株の根本から左右どちらかに傾いて伸びて、
葉の片面だけを上に向け、その面が表面のような様子になり、二次的に裏表が生じている。
シャガは中国原産で、かなり古くに日本に入ってきた帰化植物である。
三倍体のため種子が発生しない。
このことから日本に存在する全てのシャガは同一の遺伝子を持ち、
またその分布の広がりは人為的に行われたと考えることができる。
したがって、人為的影響の少ない自然林内にはあまり自生しない。
スギ植林の林下に一大自生地のような光景を見ることもしばしばだが、
そうした場所は現在では人気が全くない鬱蒼とした場所であったとしても、
かつては、そこに人間が住んでいたか、あるいは人の往来があって、
その地にシャガを移植した場所である可能性が高い。
(Wikipediaより)
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紀の川市中津川の山中にある行者堂は、和泉山脈・金剛山地からなる
葛城山系の峰々をめぐって修行する葛城修験のなかにあって、
「葛城灌頂」という特殊な儀礼が行われてきた重要な拠点です。
現在でも中津川には修験者の修行を支えてきた五鬼とよばれる家々があり、
毎年春には聖護院(京都府)によって採灯護摩供が執り行われています。
(和歌山県立博物館HPより)
※儀礼の跡ですね。
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境内風景
※行者堂碑
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お寺に祀られている役行者像や役行者の肖像画の両脇には、
前鬼・後鬼という夫婦の鬼神がいます。
この二鬼は、役行者の従者として働いておりました。
役行者は二鬼に、役行者亡き後も修験者たちの修行を支えることを約束させます。
紀の川市中津川という地には、「葛城修験」において最も重要な儀式である
「葛城灌頂」が行われる行所があります。
江戸時代には、京都の聖護院門跡が、朝廷と幕府の両方からの依頼で、
天下泰平を祈祷する護摩を焚いていた場所です。
この地には、修験者たちのために行場を管理し、草を刈り、
道を修繕するなどしている家がありますが、
それは前鬼・後鬼の5人の子どもたち(五鬼)の子孫の家であると言われています。
1,300年にわたり役行者との約束を守って修験者たちの修行を支え続けているのだ、と。
(日本遺産ポータルサイトより)
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色んな石碑が並んでいます。
※一字主尊板碑
砂岩の70cm
正平24年(1369年)銘とか~
どれでしょうか?
正平 (しょうへい、旧字体: 正平󠄁)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。
南朝方で使用された。興国の後、建徳の前。1346年から1370年までの期間を指す。
この時代の天皇は南朝方が後村上天皇、長慶天皇。北朝方が光明天皇、崇光天皇、後光厳天皇。
室町幕府将軍は足利尊氏、足利義詮、足利義満。
昭和、明治、応永、平成、延暦に次ぎ、歴代で6番目に長い元号である。
一世一元の制制定以前の元号では3番目に長い。
(Wikipediaより)
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たくさん並んでいます。
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地蔵尊も~
※境内風景
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総本山聖護院門跡出張所
※本堂石垣前には墓標と宝篋印塔
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山光龍王
※弁天様でしょうか?
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本堂石段
※石燈籠
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本堂正面
※日本遺産
日本遺産(にほんいさん、Japan Heritage)は、文化庁が認定した、
地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーである。
各地域の魅力溢れる有形・無形の文化財群を、地域が主体となって整備活用し、
国内外へ発信することで地域活性化を図ることを目的とした、
日本の文化遺産保護制度の一つ。
(Wikipediaより)
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正面龍
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扁額
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絵馬
※イニシエ瓦
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木鼻獅子
阿
※吽
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軒下風景
※大正期の線香台
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少し腐りが~
※堂前風景
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