古/いにしえの面影       其の一阡七百参拾五
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2026年01月14日 水曜日
アップ日  2026年03月19日 木曜日

和歌山県海南市黒江(中言神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

名草 戸畔(なぐさとべ - 伝 紀元前663年6月)は、
日本書紀や和歌山市の伝承に登場する、神武東征と戦った人物である。伝承によると女性。

名草戸畔は日本書紀での名で、地元では名草姫(なぐさひめ)とも。
一説に、名草戸畔とは特定の人物の名ではなく、「名草の長」という地位を表す言葉であるという。
また、姥(トメ)を由来とする説、アイヌ語で乳を意味する「トペ」が女性の族長を示す言葉となり、
そこからトベに訛ったと考える説もあったとされる。

名草邑(のちの名草郡あたり、現在の和歌山市名草山周辺)の統治者だった。
しかし、神武東征で進軍中だったイワレヒコ(のちの神武天皇)との戦いで戦死した。
名草戸畔の死後は、代わって紀氏が紀伊を治めた。
紀氏は、自らの系図で名草戸畔を遠縁に位置づけることで、正当性を主張した。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

黒江の街中の
北東にあたります。

※一段高い場所にあります。

紀州青石の石垣

※見返って~

名草彦命・名草姫命が祭神

※手水鉢

稲荷社

※筆塚

和歌碑

※訳

拝殿舎

※釣瓶

摂社

※黒江の町並みが一望~

破風付きの拝殿舎

※扁額

柿本 人麻呂(かきのもと の ひとまろ)は、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。
後世、山部赤人と共に歌聖と呼ばれ、称えられている。
三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。
彼は『万葉集』第一の歌人といわれ、長歌19首・短歌75首が掲載されている。
その歌風は枕詞、序詞、押韻などを駆使して格調高い歌風である。
(Wikipediaより)

※石燈籠

欠いた人が上手いの?
彫った人が~??

※拝殿舎内部

奉納句扁額

※境内摂社

本殿舎

※走り咲く
椿一輪
神迎う

青石に赤い椿



石燈籠
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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