
上社本宮(前ページ)より移動し~
※国道152号沿いです。
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参道行けば~
子安社
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前宮が見えてきました。
※御柱
御柱(おんばしら、みはしら)または御柱祭(-さい、-まつり)は、
長野県諏訪地方で行われる祭である。
諏訪大社における最大の行事である。
正式には「式年造営御柱大祭(しきねんぞうえいみはしらたいさい)」といい、
寅と申の年に行われる式年祭である。
長野県指定無形民俗文化財。日本三大奇祭のひとつとされる。
大社での開催年を中心に、全国の諏訪神社や関連神社(通称:小宮)でも
同様の祭(小宮祭)が実施される。
(Wikipediaより)
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山中から御柱として樅(もみ)の大木を
16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)切り出し、
長野県諏訪地方の各地区の氏子の分担で4箇所の各宮まで曳行し
社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭である。
この御柱祭りは7年目ごとに行われ、柱を更新する。
氏子は、木遣りや喇叭に合わせて曳行する。
(Wikipediaより)
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玉垣の向こうに社殿が~
※上の駐車場
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境内地
※茅野市内が見えます~
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社殿正面
※アソコにも御柱
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御神木と思えば~
※藤の木が
うねりながら~
編めますかね?
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拝殿舎正面
※本殿舎ま直接見えなかったのですが…
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拝殿舎は伊勢神宮から
下賜された材で造営されたとか~
※賽銭箱
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先程の御柱
※水眼とか
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御手洗
※蕗の葉
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水神碑
※下流部
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市街地の向こうに霧ヶ峰
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小町屋の中小路
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中小路
※屋敷が有ったんでしょうか?
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参道下って~
※五輪塔
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参道
銅の鳥居
※見返って~
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手水舎
※手水龍
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御神木
欅
※脇に国旗掲揚台
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案内図
※十間廊
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十間廊説明板
※簡素化した彫刻
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参道石段
※内御玉殿
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内御玉殿説明板
※脇から~
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見返って~
※大正期の銅の鳥居
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岡谷の鋳造所
林 浩正(はやし ひろまさ、1900年(明治33年)2月1日[1] - 1979年(昭和54年))は、
日本の実業家、政治家。長野県岡谷市長。
長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)で、丸千鉄工所経営・林乙次郎、たけ の長男として生まれた。
平野農蚕学校(現長野県岡谷工業高等学校)を卒業。
家業の鉄工場を承継し、戦時中の軍事産業の拡大に伴い社業も盛んとなった。
戦後の再建整備計画に基づき、1950年(昭和25年)岡谷造機を設立して社長に就任し、
船舶やガス用のバルブやコックの製作に当たった。
また、岡谷市消防団長、同消防長を務め、1951年(昭和26年)4月、長野県議会議員に選出され3期在任。
1960年(昭和35年)長野県人事委員会委員長に就任し1962年(昭和37年)まで務めた。
1963年(昭和38年)9月、岡谷市長に当選し、1975年(昭和50年)9月まで3期務めた。
在任中は市清掃工場、岡谷美術考古館の建設、諏訪湖流域下水道工事の着工、岡谷市民憲章の制定、
中央本線塩嶺トンネル建設の期成などに尽力した。
また長野県鋳物工業組合常任理事、長野県機械器具工業協同組合理事長、
全国失業対策事業関係都市協議会長、岡谷観光社長などを歴任した。
(Wikipediaより)
※若御子社
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若御子社説明板
※新しい狛犬
阿
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玉垣に
咳声喉に
浅田飴
主力商品ののど薬「浅田飴」の他、医薬品、甘味料、健康食品の製造販売を行っている。
かつては、会社創立者の堀内伊太郎の名をとり堀内伊太郎商店という社名だったが、
1994年にCIを導入、株式会社浅田飴と改称した。
(Wikipediaより)
※昭和12年銘
前宮改修芳名碑
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