古/いにしえの面影       其の一阡七百弐拾七
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2025年08月27日 水曜日
アップ日  2025年11月10日 月曜日

長野県諏訪郡下諏訪町(下諏訪宿)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

下諏訪宿(しもすわしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十九番目、
かつ甲州街道の終点にあたる宿場。
現在の長野県諏訪郡下諏訪町の中心部にあたり、難所であった和田峠の西の入口として、
諏訪大社下社(しもしゃ)の門前町として栄えた。
また、甲州街道の終点でもあり、45軒の旅籠があった。
古くは鎌倉時代から温泉の利用が確認されており、中山道唯一の温泉のある宿場であり、
当時の絵画などには温泉を利用する旅人たちが描かれている。
旧称は下ノ諏訪。大規模に観光開発された上諏訪温泉と異なり、
小規模な旅館街と入浴施設があるだけで、歓楽的な雰囲気はない。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、下諏訪宿の宿内家数は315軒、
うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠40軒で宿内人口は1,345人であった。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

諏訪大社下社秋宮近く湯田町辺り
国道142号

※宿場町並みが在ったそうです。

中山道下諏訪宿問屋場址碑

※綿の湯
神の湯として親しまれてきた下諏訪温泉には、神話に彩られた由来があります。
諏訪大社御祭神の建御名方神(たけみなかたのかみ)の
妃神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)が、

諏訪大社上社から下社へお渡りになる際に上社に
湧き出る湯を綿に含んだ湯玉をお持ちになり、

下社前へ供えるとそこから湯が湧き出し、
それが下諏訪温泉の始まりと伝えられ(湯玉伝説)ています。

湧き出した場所が下諏訪温泉で、その神話に基づいて「綿の湯」と名付けられました。
霊泉をたたえる神事は1月1日に行われています。(綿之湯の神事)
(下諏訪温泉旅館組合HPより)

手前左右が旧甲州街道
奥に真っすぐが旧中山道

※石碑

案内図

本陣は2023年(令和5年)に県宝に指定され、
本陣 岩波家として現在も一部が一般公開されている。
諏訪大社下社秋宮の境内を借景とし、広大な庭園を持つことが知られていたが、
現在は宅地化が進み、一部のみを見ることができる。
皇女和宮降嫁の際、また、明治天皇が宿泊した際奥の座敷を見学できる。
玄関には、大名家が宿泊している時に掲げる徳川御三家、
井伊家などの関札や武田信玄の書状を展示している。
脇本陣「桔梗屋」「まるや」は旅館として現在も営業している。
(Wikipediaより)



キョロキョロしながら

※不動尊像

国道142号(こくどう142ごう)は、
長野県北佐久郡軽井沢町から諏訪郡下諏訪町に至る一般国道である。
起点の軽井沢町から小諸市まで国道18号、小諸市より国道141号、
佐久市・跡部交差点より国道254号と重複区間となる。
立科町より笠取峠を単独区間にて超えると再び長和町長久保にて
国道152号との重複区間となり、長和町大門より終点まで単独区間となる。
東信地域と諏訪地域を東西方向に結び、終点の諏訪郡下諏訪町に至る路線である。
この路線区間のうち、佐久市の八幡西交差点から、
下諏訪町の大社通り交差点(終点)までの区間は、
五街道の一つの中山道に相当する。
(Wikipediaより)

※温泉街

銕焼地蔵尊
和泉式部ゆかりの地蔵とされています。
平安の昔、顔に大けがを負った「かね」という少女が、
普段から信仰厚くお参りしていたこの地蔵様に拝んだところ、
不思議なことに傷は地蔵様の顔に移り、傷はたちどころに治ったという伝説があります。
美しく成長した少女「かね」の噂は都にまで聞こえ、時の帝に召し出されたのち、
かの平安の歌人、和泉式部になったと伝えられていることから、
立身出世にもご利益があると言われています。
(おいでなしてしもすわHPより)



来迎寺さん
和泉式部ゆかりの地蔵が祀られる
下諏訪宿内にある浄土宗知恩院派の寺で、天文10年(1541年)に中興開山。
和泉式部の幼少期にまつわる伝説とその守り本尊で
最明寺入道北条時頼が運んできたと伝えられる銕焼地蔵があり、
毎年4月中旬に御開帳供養が行われています。
(おいでなしてしもすわHPより)

※南無阿弥陀仏碑

中山道湯田坂方面



この段差

この道を下ります。

※番屋跡碑
江戸時代に消防、自警団の役割をしていた自身番の詰所のこと。
木戸番や火の見櫓を併設していることが多く江戸や大坂、
京都などの大都市、地方の城下町で見られた。
自身番は地元住民が交代で役割を担っていたことから、
現在も地域の安全の拠点となる消防団の詰所や公民館として
跡地が残る場所が多い。
交番の元祖とも言える施設。
(Wikipediaより)

見返って~
湯田坂

※反対側~

下諏訪町は中山道沿いの土蔵1棟を改修して、
まち歩きの休憩所「七曜星社蔵(しちようせいしゃぐら)」を整備した。
諏訪大社下社秋宮と春宮との行き来を促す施設として活用し、散策しやすい環境を更に構築する。
木造2階建て敷地面積約16平方㍍。改修は持ち主の武藤工業諏訪工場(御田町)から寄贈されたのが切っ掛けで、
傷んでいた外壁は復元する形で左官し、内部はワックスを塗るなどして美装した。事業費は1166万円。
土蔵は、同所で製糸工場を営んでいた井上善次郎さんが、1895(明治27)年に建てたとされる。
井上さんなどが関わった出荷結社の社名が「七曜星社」だったことから、蔵の名称に付けた。
内部には製糸に関わる写真や図の展示、諏訪湖博物館収蔵の繰糸機を設置する予定。
博物館では「明治時代は製糸業が盛んだった。歴史に触れることができる施設になれば」と期待を寄せている。
午前9時から午後5時まで自由に利用してもらう。
(信州・市民新聞グループHP2018年3月31日より)

※御作田社
この神田に植えられた稲は1ヶ月で穂が出る」といわれ
「諏訪大社下社七不思議」のひとつに数えられています。
(信州諏訪観光ナビHPより)

御作田社正面

※温泉でした~

旧中山道風景
先は諏訪大社下社春宮サン

※見返って~
御作田社サン

伏見屋邸



案内図



海鼠壁

※一里塚
一里塚(いちりづか)は、江戸の日本橋を起点として、
主要な街道の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置された塚(土盛り)である。
多くは塚の上にエノキやマツが植えられ、街道を往来する旅人の道標となった。
日本では、平安時代末期に、奥州藤原氏が白河の関から
陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。
室町時代の一休(または一休に近しい遊女・地獄太夫)が
「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」との歌を詠んでいる。
一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。
慶長9年2月4日(グレゴリオ暦1604年3月4日)、徳川家康が子の徳川秀忠に命じ、
金山奉行の大久保長安が総監督となって設置したのが始まりである。
江戸幕府は江戸の日本橋を起点として全国の各街道の1里(約4 km)ごとに
一里塚を設置するよう指令を出し、長安の指揮の元に一里塚の設置が行われ、10年ほどで完了した。
(Wikipediaより)

江戸より五十五里とか~

この後は諏訪大社下社春宮サン
参詣させていただきました。

八木温泉さん
八木東町辺り

※入りたかったですが~

何?
相楽塚(魁塚)
維新のさきがけとなった赤報隊をまつる

明治3年に建てられた赤報隊をまつる碑。近年、人気漫画「るろうに剣心」でも
注目を浴びた赤報隊の相楽総三が斬首された場所。
赤報隊は勤皇・倒幕を志す郷士らの集団で、それを率いた
相楽総三は新政府の支持のもと、年貢半減を掲げ東へ群を進めていました。
ところが、正式な官軍としては認められていなかったので、
一旦京都へ戻るよう命令がでました。赤報隊はこれに従わず、
ここ下諏訪の地で「偽官軍」としてとらえられ、相楽をはじめ幹部8名が斬首されました。
相楽の死後、同志らによって名誉回復の動きが起こり、昭和3年には相楽に正五位が贈られました。
現在でも毎年4月の第1日曜日には、慰霊祭(相楽祭)が行われています。
(おいでなしてしもすわHPより)

※バス停

気に成る路地

※国道20号
先は諏訪大社下社秋宮サン

此処も気に成りますが~

旧中山道は、あの先に~

※中山道下諏訪宿 高札場跡

「苔泉亭」は、古民家再生で2007年に旧塚越邸から生まれ変わりました。
(E-CUREより)

お蕎麦屋さんだそうです。

※春屋さん

脇道が気に成ります~

※記念館すわのね館の屋根飾り

専女の欅
この欅(けやき)は、諏訪大社下社秋宮、
山王台の北側にある八幡(はちまん)社の道を隔てた西方にあって、

通称「おとうめ様」ともいわれる専女(とうめ)社の神木となっている巨木である。
ニレ科の落葉高木で、胸高幹囲7.1m、樹高31m、根元露出部周囲は11.3mもある。
幹は地上約5m付近で二またに分かれて枝を広げ、樹冠の広がりは20m四方にも達し、
樹齢約千年といわれている。
(下諏訪町HPより)



周囲11.3mだそうで~

※案内板

樹勢は旺盛です。

※専女社
 
諏訪大社下社秋宮駐車場
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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