古/いにしえの面影       其の一阡七百弐拾二
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2025年07月23日 水曜日
アップ日  2025年10月08日 水曜日

和歌山県日高郡由良町(由良港)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
由良港は、太平記にも登場する天然の良港で、
古くから大きな船も利用してきました。
周辺で産出される骨材を利用したセメント産業が盛んで、
近年では、造船所が誘致されるなど、地元の発展の要として、
重要な役割を担っています。
また、周辺を航行する船舶の避難港としても位置づけられ、
荒天時の湾内は多くの船舶がやってきます。

現在は、3連動(東海・東南海・南海)地震等による
津波からの被害を減らすため、防波堤の建設を進めています。
(和歌山県HPより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

慰霊碑
第三十号海防艦(だいさんじゅうごうかいぼうかん)は、

日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の15番艦。
太平洋戦争の終戦直前に沈没した。
マル戦計画の海防艦丁、第2701号艦型の15番艦、仮称艦名第2715号艦として計画。
1944年(昭和19年)2月15日、三菱重工業長崎造船所で起工。
4月5日、第三十号海防艦と命名されて第二号型海防艦の15番艦に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。

※1945年(昭和20年)当時、
紀伊由良には海軍燃料廠の施設があり、米軍の攻撃目標となることが予期されていた。
はたして7月28日午前9時、沖合のアメリカ機動部隊より発進した「グラマン」艦載機延べ八十数機が上空に現れ、
湾内の海面に繋留された本艦も対空戦闘に奮戦するが執拗な銃爆撃に、艦橋など上部構造物は大破、
全艦猛火に包まれ、砲煙と水煙の中沈没、艦長楠見中佐以下六十六名は殉職した。
沈没地点は北緯34度20分 東経135度00分。また重軽傷者51名は付近の民家に運ばれ、手当てを受けた。
戦後の1945年(昭和20年)9月15日、第三十号海防艦は帝国海防艦籍から除かれ、第二号型海防艦から削除された。
1953年(昭和28年)2月8日、第三十号海防艦はサルベージ業者によって浮揚・解体された。
のち同地には、鎮魂碑と海防艦戦死者供養塔が建立された。

昭和32年7月、由良の海に沈んだ第三十号海防艦と殉難将兵の物語を後世に伝えようと、
地区の有志が寄進を募り、慰霊碑が作られ、当時の岸壁に設置された。
記念日には現地の海上自衛隊員も参列し、追悼行事を行っている。
(Wikipediaより)

由良港内の
気に成る桟橋



船を横付するんでしょうか?



気に成る道路も~

※常石由良ドッグ
当社は大型船舶の修繕と定期点検を主事業とし、1973年に由良町で操業を開始しました。
国土が360度海に囲まれた日本に住む私たちにとって船(大型船舶)とは
貿易輸送、観光交通、防衛安全等、様々な役割を持つ無くてはならないモノです。
当社ではこれまでに、LNG(液化天然ガス)輸送船、自動車運搬船、旅客フェリー、
コンテナ船等の一般商船から調査観測船、巡視船等の官公庁船等等、
2800隻を超える船舶の修理を手がけてきました。
具合の悪くなった船を元通りに治す。美しくする。 
”船の病院” をイメージされると良いかもしれません。
社名のある”ドック”とは船を収める設備の事で、
当社ドックは全長405m、幅65mと大きさは国内最大級!
巨大なスペースは、200m級の船舶を2隻同時に受け入れることができます。
当社で施工した船はキレイな姿で海へ。そして、また翌年私たちのドックに戻ってきます。
真っ青な海と空、美しい由良湾に沈む夕日。その中に佇む全長300mを超す事もある大型船舶。
おそらく和歌山県内で一番大きなモノを扱う企業ではないでしょうか。
(常石由良ドッグ株式会社HPより)

由良港橋

※由良漁港

由良港風景~

※大きな船

由良基地(ゆらきち、JMSDF Yura Naval Base)は、
和歌山県日高郡由良町大字阿戸708-5に所在し、
由良基地分遣隊等が配置されている海上自衛隊の基地である。
由良基地は、日ノ御埼の付け根に位置する由良港内に設けられた
呉地方隊阪神基地隊隷下の基地である。
自衛艦は配備されていないが、由良基地分遣隊が置かれており、
6t型交通船(支援船)を保有している。
呉地方隊の警備区域のうち、大阪湾外に存在する貴重な基地であり、
近年は南海地震の発生が予測され、和歌山県における災害派遣の拠点として、
基地の存在意義は大きくなっている。

由良基地分遣隊は、1952年(昭和27年)の大阪航路啓開隊発足と同時に
大阪航路啓開隊本部由良基地として由良湾の奥深く
旧海軍紀伊防備隊の跡地の一部を使用し発足した。
また、基地内には三菱重工、川崎重工等の所有の建物が数棟あり、
1960年(昭和35年)以降、神戸で建造される潜水艦の
海上公試等の支援が開始され現在も継続して実施している。
また、紀伊水道周辺の前進補給基地として、
艦艇等寄港時の各種支援を担当している。
(Wikipediaより)

※重山

宇佐八幡宮御旅所
海岸埋め立ての為に
色々位置を変えたとか~

※宇佐八幡宮
九州?と思えば
和歌山県日高郡由良町里に
宇佐八幡宮は有るそうです。

扁額



阿戸海岸なんですね。

※重山(かさねやま)は標高262.6メートル、
和歌山県日高郡由良町の白崎にある山である。
白崎海岸県立自然公園の一部である。
白雲山海宝寺は本尊千手観音(重山観音)で元は山麓にあった。
平安時代、慈覚大師円仁が阿蘇山からの帰り暴風に遭い由良港に難を避け、
千手観音を本尊として海宝寺を立てた。
後に哲仏和尚が西国三十三所札所を決める日、
朝寝をして札所からもれてしまい、朝寝山と揶揄された。
それが変化して重山(加実山)と呼ばれるようになったという。
戦時中は海軍紀伊防備隊司令部と陸軍燃料支廠の防衛の為に対空陣地が設営された。
(Wikipediaより)
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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