古/いにしえの面影       其の一阡七百壱拾二
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2024年09月25日 水曜日
アップ日  2025年09月14日 日曜日

長野県長野市篠ノ井塩崎東篠ノ井(見六の道標)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

北国西街道(ほっこくにしかいどう)は、信濃国に存在した脇往還で、中山道と北国街道を連絡し、
松本藩や松代藩、善光寺へ向かう道のひとつとして整備された。
正しくは北国西脇往還という。現在、国土交通省では北国西往還とされている。
善光寺街道、善光寺西街道などの別名を持つ。また善光寺とは逆方向に進み、
中山道から西の伊勢や京に行く用途(伊勢参りなど)では西京街道の名が使われ、
稲荷山宿にその名が刻まれた道標が残されている。

洗馬で中山道と分かれた後、松本城下を経て山間地に入り、
街道最大の難所である猿ヶ馬場峠を超えて善光寺平の南端(稲荷山宿・桑原宿)に至り、
丹波島で北国街道に合流するのが北国西街道の正式なルートであるが、
実際に西国から善光寺に参詣する際には、十返舎一九の『続膝栗毛』に見られるように、
中山道塩尻宿から千国街道沿いに安曇野を経て、
大町宿から西山地域を超えて善光寺平の西端に至る経路も頻繁に利用された。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

篠ノ井線(しののいせん)は、
長野県長野市の篠ノ井駅から長野県塩尻市の塩尻駅までを結ぶ、

東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。
駅ナンバリングで使われる路線記号は、「SN」。
事業基本計画および国土交通省監修『鉄道要覧』では篠ノ井駅を起点としているが、
国鉄時代の国有鉄道線路名称やJR発足後のJR線路名称公告では塩尻駅を起点としており、
また列車運行上は塩尻駅から篠ノ井駅へ向かう列車が下り、逆が上りとなっている。
(Wikipediaより)

※麻績村
長野県のほぼ中央(中信)の筑摩山地の北寄りに位置する高原の村である。
村は山岳地帯にあり、北端の聖高原、南端の四阿屋山、
東端の一本松峠等はいずれも1,000 mを超す地点となっている。

江戸時代には松本藩預かりの天領で、北国脇往還の宿場町(麻績宿)であった。
村内には聖山(ひじりやま)があり、
越後の高僧である聖がこの山を修行山としたことが名前の由来であり、

その後もいくつかの寺院が建立された。
(Wikipediaより)

お仙の茶屋跡入口看板
旅人も顔真赤にしてのぼる猿が峠の難所には

※千曲市の向こうに
上信越高原国立公園も遠望~

長野市内に入って~
長野市篠ノ井塩崎地籍に流れ込み南東方向で千曲川に注がれる岡田川を、
横断し架かる主要地方道長野上田線見六橋が架かっていた。
この見六橋架替工事関連で護岸工事が先行、2004(平成16)年11月に川底から石碑「見六の道標」が発見されている。
この石碑には善光寺方向を右手の人差し指で示し、「せんくわうし道」と刻まれる。
善光寺へは、中山道の洗馬から北国脇往還となり松本を経由、難所だった猿ケ馬場峠を越え、
稲荷山を経て篠ノ井の追分で北国街道と合流する。
1849(嘉永2)年、橋架け替えに際し善光寺を目指す旅人のために、村人が信仰の道の拠り所として建立された。
その後、川縁の浸食などにより失われ、いつしか忘れ去られたものだった。
一連の工事が終了したことを契機に、篠ノ井地区住民自治協議会等により、現位置に再建立された。
このように、見六橋は当時の善光寺信仰の道の分岐点だった地でもある。
(長野県立歴史館HPより)




善光寺

右手が~

※正面から~

嘉永期の物

※筆塚は?
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.