其の一阡七百二
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2023年05月02日 火曜日 アップ日 2025年09月06日 土曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 和歌山県紀の川市嶋(風市森神社)は、 天正の兵火に罹り社殿・宝物・古文書等全て焼失し、鎮座等不詳であるが、 古史の記する所に拠れば光仁天皇宝亀年間以前の鎮座であることは分明である。 紀伊国那賀郡長田庄6ヶ村の産土神である。 元来は社殿は、3社であったが先の御造営に当り、合祀本殿を1殿に改めたものである。 級長戸邊尊は元より、この地に鎮まります神であり、風の神であって伊勢の風宮より勧請すると云われ、 若一王子社(天忍穂耳尊)は元当社より南3丁神木塚と云う所に在り、 丹生明神社(丹生都比賣尊)は大字北長田の地に鎮座してあったのを、 両社共延暦年中に当地に遷し奉ると云う。 正暦2年粉河寺へ下賜の太政官符に、西限り風ノ杜といへるのは当社の事である。 伝へて粉河の地主神であると云い、古くは頗る賽者多く武将武門の粉河寺参詣の途次は、 第一に当社に参拝せられたと云われて居る。 社前老樟の脇に童男行者腰掛石があり、社の東南に清水湧き出づる井戸あり、是を松の井と言う。 昔童男行者粉河寺の内に、九井を穿たせ給うたその一つである。 この井戸に接した大字名は松井と言う。 当社には古より伝わる御管粥祭りの神事があり、毎年旧1月15日に執り行い、 その年の年穀の豊凶を占う神事である。 (和歌山県神社庁HPより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい) やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~ 何時のが出てくるか判りまへんで! 袖擦り合うも他所の縁~ いつまで知った景色が在るのやら。。 頑張ってボチボチ更新中…^^;
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