其の一阡七百一
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2023年05月02日 火曜日 アップ日 2025年09月06日 土曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 長田観音(ながたかんのん)は、和歌山県紀の川市にある真言宗山階派の寺院。 山号は如意山。本尊は如意輪観音。正式名称は厄除観音寺といい、長田観音は通称である。 延喜21年(921年)に念仏上人により開創されたとする。 如意山厄除観音寺の寺名と今に伝わる御詠歌は、宇多天皇が退位して出家して 法皇(寛平法皇)になられた際に法皇より賜ったものであるという。 壮大な伽藍を誇っていたが、天正13年(1585年)に羽柴秀吉による 紀州征伐で焼き討ちされて全焼した。 しかし、本尊のみは助け出され、後に草堂が造られるとそこに安置された。 元和8年(1622年)に諸国巡礼をしていた薩摩国の沙門道誉尊者が、 この草堂を見て深く歎くと当寺の再興に尽力し、新たに仏堂が再建された。 寛永元年(1624年)紀州藩主徳川頼宣が厄除祈願のために当寺に参詣すると、 頼宣は自ら約1キロほど南にある現在地を選定して当寺にその地を寄進した。 当寺はその地に移転すると紀州藩の永世厄除祈願寺に任じられ、 寛永3年(1626年)には本堂が再建されてその他の堂舎も復興された。 また、寺の格式も他の寺院とは別なものとされ、 地名も別の所という意味で付近一帯は別所(べっしょ)と名づけられた。 こうして旧長田庄に境内を構えたことから、通称として長田観音と呼ばれるようになった。 天保年間(1830年 - 1844年)に紀州藩主徳川斉順の寄進により三重塔が建立されたが、 1961年(昭和36年)9月16日の第2室戸台風で倒壊した。 本尊の如意輪観音は霊験高く一般に「厄除観音」または「厄観音」と呼ばれている。 初午や二ノ午には多くの参拝客で賑わう。 (Wikipediaより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい) やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~ 何時のが出てくるか判りまへんで! 袖擦り合うも他所の縁~ いつまで知った景色が在るのやら。。 頑張ってボチボチ更新中…^^;
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