
長い参道~
※トコトコ歩いて~
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此処までは参拝に
自動車が入れると思います。
※標高250mの山の麓に~
一段上ります。
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新しい狛犬
阿
※吽
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中段に鳥居
鳥居の銘
※一段上の石燈籠
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長寿講
※若山
和歌浦は現在の干潟あたり、奈良時代以前は「弱浜」と記され、
「わかのはま」「よわはま」と呼ばれました。
724年、ここを訪れた聖武天皇は「弱浜」を「明光浦」(あかのうら)と呼ぶ詔を出しました。
一方、聖武天皇とともに訪れた歌人の山部赤人は、万葉集で「若の浦」と記しています。
ここから当時、既に「若の浦」と呼び記されていたともみられます。
平安時代になると、歌の中で「和歌の浦」と記されることが出てきます。
『紀伊続風土記』には「和歌」は玉津島神社の祭神で天照大神の妹神、
稚日女尊(わかひるめのみこと)にちなんだものかとの説も紹介されているとのことです。
決定的なのは1585年、羽柴秀吉による紀州統一です。
秀吉は和歌山城を建てる場所を岡山に選び、南にある和歌の浦を合わせ、初
めて「和歌山」という地名を書状に記しました。
「江戸時代に若山で統一しようとしましたが、実際は若山と和歌山が混用されています。
明治に和歌山県となり、今へと至ります」。よくワカりました。
(ニュース和歌山HPより)
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境内風景
※西側に社務所
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手水舎
※手水鉢
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東側の社務所
※境内摂社
左から
田村神社サン
賽の神神社サン
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神門
※本殿舎は御簾で見えない~
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神門脇にカラス?鳩?
石像
(嘴が短めで尻尾が長め)
※見返って~
境内風景
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御簾脇から~
社殿前狛犬
阿
※吽
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本殿舎前石燈籠
竿に大阪 鍵屋銘
※宝暦銘
宝暦(ほうれき、(ほうりゃく、旧字体: 寶曆)は、日本の元号の一つ。
寛延の後、明和の前。1751年から1764年までの期間を指す。
この時代の天皇は桃園天皇、後桜町天皇。
江戸幕府将軍は徳川家重、徳川家治。
(Wikipediaより)
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社殿に登る石段の両脇に分かれて作られた
庭園に使われている石は、
すべて近くで産出されている蛇紋岩。
(紀の川市HPより)
※石垣は?
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境内摂社
伊勢神宮遥拝社サン
※コンクリ覆い屋内に
春日神社・妙見神社サン
合祀されて~
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奉納馬
※手水鉢
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絵馬
※厄落とし?
厄が逆さまに~
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社殿風景
※参道見返って~
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参道脇に駐車して~
※太平洋戦争忠魂碑
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大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 1975年10月4日)は、日本の政治家。
2人目の和歌山県公選知事(1967年4月23日 - 1975年10月4日)として3期を務めた。
長男は前和歌山市長の故 大橋建一。
1971年の第26回国民体育大会(黒潮国体)では、
紀三井寺公園をはじめとする競技施設より道路などの一般インフラに重点を置いた対応を行った。
また、巨体でありながらフットワークがよく、あらゆる場所に足を運んだ。
ルバング島で小野田寛郎が発見された際、すぐに現地へ直行したことも話題となった。
(Wikipediaより)
※南側への参道向こうに
石燈籠群が見えます。
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神社脇に大日寺さん
※神宮寺だった?
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燈籠群から神社方面を見返って~
※4基2対
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文久期
文久(ぶんきゅう、旧仮名遣:ぶんきう)は、日本の元号の一つ。
万延の後、元治の前。大化以降225番目、241個目の元号。
1861年から1864年までの期間を指す。
この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。
(Wikipediaより)
※尚、南方向に進めば~
地蔵尊
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