其の一阡七百六拾
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
| 撮影日 2026年04月02日 木曜日 アップ日 2026年04月06日 月曜日 |
||||||||||||
![]() |
ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 杉野原の概要と歴史 杉野原は、有田郡の奥地旧清水町の東端にあり、伊都郡旧花園村に隣接し霊場高野山を源流とする 有田川が弓の字のように蛇行して流れる段丘起伏ある集落の中に、上手番・神屋番・中村番・野中 番の小字があり、調査時の戸数六二戸、人口一八三人の僻郷である。古代には、丹生神領・高野山 領ともいわれ、岩垣(いわがき)上荘または阿氏河(あてがわ)上荘の中にあり、往古から杉樹の 繁茂地とみられ、杉胴村・椙(すぎ)原村・杉原村などと見え中世には領家と高野山との領有権の 抗争、地頭湯浅氏と農民との・・・・・・ミミヲキリ、ハナヲソギ・・・・・・・の「阿氏河百姓 等言上状」の波乱ある荘園歴史を秘めた地域である。南北朝抗争の正平三年(1348年)後村上天皇 が吉野賀名生(よしのあのう)から、阿瀬川入道(湯浅)定仏の城へ安在(あんざい)せられた阿 瀬川城は、野中番の「天子山」である。天皇は同年9月末まで潜在せられたという。近世には、 山保田庄(組)のいち、「杉野原」となり、慶長検地帖では、家数43件、田畑合せて26町2反6畝余、 村高306石余、紙木814束、その他となっている。 阿弖河荘上村百姓ら、地頭の横暴を訴える 紀伊阿弖河荘は、有田川上流の川ぞいにある山間の荘園で、年貢・公事は、絹と真綿、材木などであった。 鎌倉時代、この荘園では地頭湯浅氏による過酷な支配がおこなわれていた。1275(建治元)年5月、地頭の 非法に苦しんだ阿弖河荘上村の百姓は、その横暴を、荘園領主を介して六波羅探題に告発する訴状を作成 した。これを知った地頭は、百姓をとらえて弾圧したが、連帯した百姓らは密儀を重ね、10月には13か条 の片仮名書きの訴状を完成させた。彼らは、「妻子をつかまえて耳を切り鼻をそぐぞ」という地頭側の脅 迫に屈せず、地頭の横暴の数々を書きあげたのである。 高校日本史 参照 (雨錫寺HPより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい) やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~ 何時のが出てくるか判りまへんで! 袖擦り合うも他所の縁~ いつまで知った景色が在るのやら。。 頑張ってボチボチ更新中…^^;
|
|||||||||||