古/いにしえの面影       其の一阡七百五拾九
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2026年04月02日 木曜日
アップ日  2026年04月04日 土曜日

和歌山県有田郡有田川町楠本 (故巡査部長小西栄次郎殉職地之碑)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

故小西栄次郎巡査慰霊碑
大正11(1922年)8月16日小西巡査(33)は旧八幡村楠本地区の茶屋で
ピストル強盗犯を取り押さえようとし殉職した。
その後犯人は1500人規模の山狩りで生石高原にて逮捕された。
大正14(1925年)8月16日、地方の有志、青年会などの寄付によって、
有田川町楠本地内に慰霊碑が建立されました。
その後、二川ダム建設のため、昭和39年(1964)年10月に
有田川町楠本534番地5に移転され、
令和4年8月に有田川町楠本548番地1先に再移転しました。
(有田川町HPより一部加筆)

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国道480号

※ソメイヨシノ花盛り

紀州大水害の発生した1953年は、大水害が頻発した年でもあった。
有田川水系上流域では山肌はあちこちで崩れ、有田川上流の伊都郡花園村では、
高さ240m幅350mに渡って地滑りが起き、これによって約百戸の家屋が消えた。
これはこの水害での斜面崩壊では最大規模のものである。
このような流出土砂によって上述のように多数の天然ダムができた。
徳田などの集落はその全部が流失、集落の多くが流失したところもいくつかあった。
北寺の地すべり地では、花園村役場と民家18戸を埋没させ96人を生き埋めにした。

有田川は増水が最も激しく、最大で10mの水位の上昇があった。
殿原、宮原などの堤防が決壊し、保田、宮原、箕島などの地域が泥の海になった。
金屋橋は午前7時に流失、それより下流の橋は一つを残して流失した。
紀勢西線は宮原駅前後が2.7kmに渡って流失した。
また宮原小学校、保田中学校は校舎全部が流失した。
洪水の引いた跡には泥や樹木が取り残されたが、その厚みは1mにもなり、
家屋がほぼ埋められる状況も見られた。
有田川本流に1966年(昭和41年)二川ダムが建設された。
(Wikipediaより)

※二川ダムの概要
ダム湖の面積は、約0.86平方キロメートルで、大阪ドームに例えると、
約25個分となります。
そこに貯まる水の量は、最大30,100,000立方メートルで、東京ドーム約24杯分となります。
この水を利用する岩倉発電所の発電量は、最大11,000キロワット。
この発電を1ヶ月間続ければ、1軒の家が消費する電力約900年分となります。
(和歌山県HPより)

ダム湖

※水量は少ない

桜花満開状態



橋渡って~

※渡り切ったところに~

石碑が~



故巡査部長小西栄次郎殉職地之碑



由来記

※旧跡はダム湖の下でしょうか?

この近くが前場所



蔵王橋(ざおうばし)は、和歌山県有田郡有田川町の二級河川有田川二川ダム上に架かる吊り橋。
全長約160m。真っ赤に塗られた吊橋は針葉樹の多い周囲の景観の中でひときわ目立っている。
足下には、格子状の鉄骨が使用され真下のダム湖の湖面が見えるため、高さを実感できる。
このため渡り切れずに途中で足がすくみ引き返す観光客も多い。
春は周囲のソメイヨシノ(桜)が満開となる。
現在は歩行者専用となっているが、昔は自動車が通行したという。
また、この吊り橋を渡った二川ダムの左岸の湖岸道が遊歩道として整備されている。
(Wikipediaより)


やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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