古/いにしえの面影       其の一阡七百参拾七
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2023年07月17日 月曜日
アップ日  2026年03月20日 金曜日

和歌山県伊都郡かつらぎ町萩原(宝来山神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

寶來山神社(ほうらいさんじんじゃ)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある神社。
新字体表記の宝来山神社も一般的に用いられる。

第一殿 - 祭神:八幡大神
第二殿 - 祭神:菅原大神
第三殿 - 祭神:大山祗大神
第四殿 - 祭神:猿田彦大神

光仁天皇の宝亀4年(773年)、和気清麻呂が八幡宮を勧請したことに始まるとされる。

寿永2年(1183年)、当神社がある桛田荘(かせだのしょう)
(現・和歌山県伊都郡かつらぎ町笠田中の一帯)が
和気清麻呂ゆかりの寺院である神護寺の荘園となるが、その頃の景観を描いたとされる2枚の
桛田荘絵図(いずれも重要文化財)が、神護寺と当神社とに残されている。
(Wikipediaより)


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道標兼ねた弘法大師常夜灯
右 こうやみち
左 いせ

※先に一の鳥居

四つ脚門の二の鳥居

※屋根付き扁額

創建当初は八幡宮と呼ばれていた当神社が、いつごろから宝来山神社と
呼ばれるようになったかは分かっていないが、大永5年(1525年)の
年紀のある当神社所蔵の古文書(福蔵院旧蔵)には、「是吉大明神」とともに
「宝来山大明神」と記されており、宝来山大明神社と呼ばれるようになっていた。
天正10年(1582年)に織田信長が高野山を攻めようとした際、そ
の兵火に遭って社殿が焼失した。
その後、荒廃していた当社であるが江戸時代に入って慶長19年(1614年)に
是吉吉右衛門などによって復興された。
明治時代になると、神仏分離によって神宮寺の神願寺は
当社と分離して独立している。
(Wikipediaより)

※手水鉢


※社務所

奇麗な社殿

※百度石

知らなかった~

拝殿舎

※内部

猫型狛犬

※神宮寺

拝殿舎脇から~

※八幡大神
奇麗な檜皮葺

大山祇大神

※神願寺(神宮寺)さん

奇麗な檜皮葺社殿群

※奥宮

本殿舎裏に~

※磐座でしょうか?

裏山から見えるかな?

※残念ながら~

参道整備されています。

※神宮寺裏に~

市杵島姫命

※新緑に映えます~

拝殿舎脇

※遥拝所

神願寺さん

※奇麗な木彫

正面龍

※裏に銘は無し~

当神社の神宮寺である神願寺は源満仲が創建し、
その三男の源賢が住職をしていた寺院であるが、
鎌倉時代には荒廃していた。
そこに、神護寺の復興に尽力した文覚が熊野からの帰りに
この地を訪れ、再興している。
(Wikipediaより)


※案内板

忠魂碑

※見返って~
正面は龍門山山系の飯盛山

杯状穴

※明治期の石段
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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