古/いにしえの面影       其の一阡七百参拾三
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2026年01月14日 水曜日
アップ日  2026年03月19日 木曜日

和歌山県海南市下津町上(長保寺)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

長保寺(ちょうほうじ)は、和歌山県海南市にある天台宗の寺院。山号は慶徳山。
本尊は釈迦如来。開山は性空(しょうくう)である。
3棟の国宝建築と紀州藩主紀州徳川家歴代の墓所(国の史跡)がある寺として知られている。
寺伝によれば、平安時代中期の長保2年(1000年)、一条天皇の勅願により、
円仁(慈覚大師)の弟子の性空によって創建され、年号を取って「長保寺」と号したという。
その後、寛仁元年(1017年)には七堂伽藍と子院十二ヶ坊が完成していたという。
創建時は現在地より西方にあったが、鎌倉時代末期に現在地に移り、伽藍も整えられた。
現存する本堂、多宝塔、大門(各国宝)はやや時代が下って鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての
建築であるが、中世にさかのぼる仏教建築がまとまって残されている点で貴重である。

(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

南向きの大門

※背面に山を背負って~

戦国時代には衰退していたため、江戸時代に紀州藩主となった浅野幸長より5石の寄進を受けた。
寛文6年(1666年)、当地を訪れた紀州藩主徳川頼宣は、山に囲まれた要害の地にある長保寺を
紀州徳川家の菩提寺に定めた。
寛文12年(1672年)には2代藩主徳川光貞によって500石を寄進されている。
境内東斜面には約1万坪にも及ぶ広大な藩主廟所があり、頼宣以降の歴代藩主が眠っている。
ただし、5代吉宗(後の8代将軍)と13代慶福(よしとみ、後の14代将軍家茂)の墓は
それぞれ東京の寛永寺と増上寺にある。
宗派は、当初天台宗であったと思われるが、後に法相宗、さらに真言宗に改宗し、
紀州徳川家の菩提寺となってから天台宗に復した。

鎌倉時代 - 南北朝時代建築の本堂・多宝塔・大門の3棟が国宝に指定されている。
(Wikipediaより)




奇麗な山門

※扁額は慶徳山

金剛力士像


※吽



※吽
作者は?

山門表側

※裏側

 表の彫刻は龍虎

※木鼻彫刻は簡素に

 龍

※虎

 裏側
彫刻は鯉
登竜門?



 生き生きと~



 

お邪魔して~
多宝塔が
お目当てなんですが~



福蔵院さん



階段途中に入口が~

※あれれ…

令和5年の豪雨で拝観不可だそうで~
復旧のめどが立たない…残念!
クラウドファンディングは無理なんでしょうか?

※句碑

戦没者慰霊塔

※昭和28年銘

桜の季節なら奇麗でしょうね。



蝋梅の季節

※満開です~

観光的にも拝観を復活して欲しいですね。
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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