古/いにしえの面影       其の一阡七百参拾一
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2026年01月11日 日曜日
アップ日  2026年03月18日 水曜日

和歌山県和歌山市加太(加太春日神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

加太春日神社(かだかすがじんじゃ)は、和歌山県和歌山市加太にある神社。旧社格は村社。
創建年代は明確ではないが、紀伊国造家旧記によると、神武天皇東征の際、
紀国造氏の祖である天道根命が神鏡と日矛の二つの神宝を奉じて加太浦に上陸し、
頓宮を造営して天照大御神を祀ったことに始まるという(神鏡・日矛は日前神宮・国懸神宮の神体である)。
延喜式神名帳の記載はない(式外社)が、「紀伊国神名帳」 に「正一位春日大神」と記されている。
役小角(飛鳥時代の半ば伝説的な山岳修業者で修験道の開祖、役行者とも称す)が、友ヶ島を行場とし、
当社を勧請して守護神としたという。
そのため現在でも毎年四月二十日、当社に聖護院門跡が大勢の山伏僧と共に参拝している
(聖護院は本山修験宗の総本山)。
紀伊名所図会によると、社地はもと、現在地から東の山の中腹にあったが、
天正年間(1573年-1592年)に豊臣秀長の家臣で和歌山城代
(当時、秀長は大和郡山に居城、大和、和泉、紀伊三国を領し、紀伊国は和歌山城代が支配)の
桑山重晴によって現在地に遷したと記している。
なお、棟札(重要文化財の附指定)によって慶長元年(1596年)に
大がかりな社殿の造作がなされたことも実証されている。

当社は、明治時代まで神職はおかず、神社経営は宮座形式の当屋制によって運営されていた。
第二次大戦後、神社が国家の保護を離れたことにより当社が宗教法人となったときより、
現社名の「加太春日神社」が用いられるようになった。
(Wikipediaより)

昔は伊勢海老が沢山獲れた地区でも有りました。

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加太港から西を望めば
友ヶ島の向こうに淡路島が見えます。
前には~

漁村路地に入っていきます。

入り組んだ路地ですが
基本的に東西南北方向~

※この日は小雪が舞っていました。

築地も奇麗に~



戸板ですね。



元料理屋さんでしょうか?



西に向いた鳥居

※春日神社サン

昭和47年銘



拝殿舎は後で~

※石段上って
神祇 麿王璽サンへ

春日神社本殿舎を脇から~

※檜皮葺の奇麗な社殿です。

境内摂社 五社舎
この日は蛭子さん!



文化財保護の放水銃
頼みまっせ!

※摂社風景~

神祇 麿王璽(護良親王)
護良親王(もりよししんのう、もりながしんのう)は、
鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍。
還俗前の名は尊雲法親王(そんうんほっしんのう)、
通称を大塔宮(「おおとうのみや」、「だいとうのみや」)ともいう。
一般に後醍醐天皇の第三皇子とされるが、一宮(第一皇子)という説もある。
母は民部卿三位で、北畠師親の娘の資子という説と、勘解由小路経光(広橋経光)の
娘の経子という説がある。尊珍法親王の異父弟。興良親王の父。

元弘の乱で鎌倉幕府を打倒することに主たる功績を挙げ、建武の新政では征夷大将軍に補任。
しかし足利尊氏を疎む護良は、武士を好み彼を寵愛した父とはすれ違いが多く、
将軍を解任され、政治的地位から失脚、鎌倉に幽閉される。
のち、中先代の乱の混乱の中で、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害された。
鎌倉宮の主祭神。
(Wikipediaより)

※元弘2年(1332年)11月に一行は吉野へ入り、そこを拠点に畿南地方への勢力圏づくりに励んだ。
それは楠木正成の軍事基盤づくりと同時並行して行われたが、
護良親王は正成のように軍事行動を展開するのではなく、
畿内各地の寺社や土豪地侍、武装商人に蜂起を促す令旨を大量に撒布していた。
護良親王と正成が同時に活動したのは、護良親王の令旨に現実的な権威を持たせるために、
親王方の武威を示す必要があったからであると考えられる。
結果的にこれは功を奏し、粉河寺衆徒などが親王方へ降った。
また、後には後醍醐の代行として、畿内に限定することなく、
九州の原田氏や阿蘇氏、東国の新田氏に令旨を送っている。
(Wikipediaより)



※水占い

手水舎

※手水鉢

神輿蔵?



南に向いた社殿


 
御大典記念燈籠


 
拝殿舎前の狛犬


※吽
 
円形台座に載っています。

※西向き鳥居は昭和9年銘

欄間彫刻は見られなかった~
 
蛭子サンで福戴いて~

お稲荷さん



摂社前狛犬


※吽

白龍社
己サンですね。

※拝殿舎前風景~

案内板

※神社前の参道

揚げパンで有名な
加太こころ屋さん

※お休みでした~

この路地は?

※井戸と敷石?

本殿舎裏から~

※本瓦家屋も~

本瓦家屋~



街道ですね。

※脇の路地

好きな風景が続いてます。





やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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