古/いにしえの面影       其の一阡七百八
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2025年02月18日 火曜日
アップ日  2025年09月11日 木曜日

和歌山県紀の川市(春日川渡井~古和田)小田井堰
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

小田井用水
現在、紀の川の北側一帯には多くの水田が広がり、県内有数の田園地帯となっています。
しかし、かつてはたびたび干ばつに襲われ、「月夜にやける」(月夜でもかわいてしまう)と
言われるほど水の便が悪い土地でした。
転機が訪れたのは江戸時代です。現在の橋本市から岩出市まで、
紀の川の水を運ぶ大土木工事が行われたのです。紀の川北筋の農地を潤す大動脈・小田井用水の開発です。

大畑 才蔵(おおはた さいぞう、1642年(寛永19年)- 1720年(享保5年))は、
日本の農業土木技術者。江戸時代、紀州藩で、水利事業に大きな貢献をし、
小田井用水路、および藤崎井用水路の紀の川から引水した大規模かんがい用水・疏水工事を
行った人物として知られる
才蔵の主要な功績の一つである小田井は、宝永4年(1707年)に藩主吉宗の命を受けて着手した。
才蔵は、第一期、二期工事として高野口町の小田を起点として打田町にいたる
約27キロメートルの水路を施工した。
天下の暴れ川である紀の川に堰を造る(小田井堰)のは相当困難であり、出水のたびに流出した。
小田井を通すあたりは河岸段丘が出入りしており、地形が複雑で、難工事であった。
第一期工事(小田 - 那賀)は宝永5年(1708年)に、二期工事は(那賀 - 打田)は
宝永6年(1709年)に完成させた。
引き続き施工された第三期工事(打田 - 岩出)の完成には立ち会っていないようだ。
(Wikipediaより)


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前のページより
春日川渡井遠望~
自転車はラレーロードスター
ロードスター(Roadster)とはかつてイギリスにおいて
よく見られた自転車の形式で現在では全世界にまで普及しており
日本でも実用車、軽快車といった一般用自転車の原形となった。
アメリカではイギリスの自転車であることと、
上位グレードの内装3段変速機からEnglish 3 speedとも呼ばれ、
「ロードスター」は現在では自転車の呼称として認識されることは少ない。
英国式ロードスターと呼ばれることもある。
イギリスでは主に1920年代から1970年代まで生産された。
(Wikipediaより)

※粉河寺への道

小田用水は続いています。

※新興住宅地脇にも~

水面の見えるところも~

※見えないところも~

護岸工事はされています。



管理用側道も途切れ途切れで~



直行道路が基本でしょうが…

水路が先なんでしょうね
鋭角的に交差する箇所も~


やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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