古/いにしえの面影       其の一阡七百六
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2024年09月19日 木曜日
アップ日  2025年09月07日 日曜日

和歌山県和歌山市伊太祈曽(伊太祁曽神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

伊太祁󠄀曽神社(いたきそじんじゃ)は、
和歌山県和歌山市伊太祈曽にある神社。旧称は山東宮。
式内社(名神大社)、紀伊国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
和歌山市内にある日前神宮・國懸神宮と竈山神社、伊太祁󠄀曽神社に参詣することを「三社参り」という。

御鎮座の時期については明らかでないが、『続日本紀』の文武天皇大宝2年(702年)の記事が初見になる。
古くは現在の日前宮(日前神宮・國懸神宮)の地に祀られていたが、
垂仁天皇16年に日前神・国懸神が同所で祀られることになったので、その地を明け渡したと社伝に伝える。
その際、現在地の近くの「亥の杜」に遷座し、和銅6年(713年)に現在地に遷座したと伝えられる。

日本書紀によると、高天原を追われた素戔嗚尊とその子五十猛神は、
共に新羅に降り立つがその地を気に入ることはなく、船で出雲国に移動した。
そして素戔嗚尊は高天原から持ってきていた木の種を五十猛神に渡して日本中にその種を蒔くように命じた。
五十猛神は妹である大屋津姫命・都麻津姫命と共に九州から順番に日本中に種を蒔き始めて国中を青山にし、
最後に木の国(紀伊国)に降り立った。
このことから五十猛神は有功神(いさおしのかみ=
大変に功績のあった神様)とも呼ばれ、紀伊国に祀られることとなった。
『延喜式神名帳』では名神大社に列し、紀伊国一宮とされる。

中世には新義真言宗の根来寺と深い関係を築いていた。そのため、
神宮寺として境内南側に新義真言宗の興徳院がある他、
奥宮である丹生神社の隣には根来寺の覚鑁が伊太祁󠄀曽神社の奥之院として傳法院を建立した。
現在、興徳院は廃寺となっている。
(Wikipediaより)


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わかやま電鉄貴志川線
伊太祁曽駅から南へ~

※和田川に架かる常盤橋渡ります。
左側の社杜には
ときわ山古墳が有ります。
 
和田川上流方向

※下流方向
流れは無いようです。

西山東村道路元標

※由来記

参道は未舗装

※境内池に架かる太鼓橋

正面から~

※百度石と手水舎

割拝殿

※立派な檜皮葺の本殿舎

拝殿舎内にカービング干支
文字はともかく造形が素晴らしいです。

※龍は本殿舎前に~

木祭り
4月第1日曜日に行われる祭典で、日頃の木々の恩恵に感謝する祭典。
古くは家屋や船など全て木でつくられており、
日常生活に木製品は切っても切ることができないものであった。
この日は全国の木材関係者をはじめ、多くの崇敬者で境内は賑わうという。
(Wikipediaより)

※紀州は木の国
舟の神様でもあったとか~

 潜らせてもらいました~

※私的には最高の傑作だと~

ユックリポタしたいですね~

祇園神社碑
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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